私は本屋が大好きだ。
どこで生活していても必ずお気に入りの本屋という存在はかかせない。
ただし本屋ならなんでもいいというわけでなくそれなりになんとなく好みがある。
誰しも立ち読みするのがはばかられる本屋には行かないだろうが
私もそうである。
あとは本の並べ方、明るさ、本棚の間隔や客の数など説明の難しいところから
簡単なところでは何より単行本の割合が多い店が好きだ。
本屋が好きってことは本が好きってことだがとりわけエッセイは好き。
一番のお気に入りは林真理子。
中には「えぇ~あの目立ちたがり屋の、勘違い女」と言う人もいるだろうが、
どーしてどーしてエッセイの中に見る彼女はそうじゃない。
読むと「いい男・おいしい食べ物・流行・おしゃれ」などに確かに貪欲なのは否定しないがそこに彼女一流のエッセイのツボみたいなものを感じる。
一流と思うのはわざとらしさや計算づくと思わせない・・・いわばUFOってきっといるような・・・でもいないような・・・でもいるような・・・的な感覚なのだ。
そしてここがポイントだと思うのだが彼女の素直さ。
私だっていい男は好きだし、おいしい食べ物食べたいし、おしゃれもしたい。そしてそういうものを上手に取り入れてカッコよく暮らしたい。
(勝手な想像だがなんていうか黒木瞳みたいに)
だけど現実は現実で24時間かっこいいなんて訳にはいかない。
彼女はそれを普通としてとらえ悪いことやダメなことでも書く。
そして反省したりする。彼女のなかには言い訳がないそこに魅了されるのだ。
素敵な人の素敵な暮らしの素敵なエッセイに素敵な気分になる・・・・
そういうのが好きな人はそれもいいだろうが、「私は失敗した、カッコ悪い、もっとどろっとしたところもありさ」っていうのが好き。素敵だってトイレットペーパーは買う。おしゃれだってお風呂掃除をする。カッコよくたって財布はレシートや小銭、カードでぱんぱん。
エッセイってそこがいいと思う。
エッセイに素敵なことやカッコいいことだけなんて実践しなくても書くだけなら誰でもかける。いいことやいい思いなんて誰でも言える。
でも人間ってそれだけじゃないんだよ・・ってことは大人になれば誰でも知ってる。
話しは横道に逸れるが、昔ある同級生があの「アンネの日記」の感想文で
「アンネを嫌い」と書いていた。
それに衝撃を受けた。
苦難のなかの生活で素直な日記に感動・・・と皆が書く中でだ。
思えば自分もその素直さには恐れ入ったがアンネ自身はどこか好きじゃなかった・・・それでも普通に感動したと書いた。
感想文とはいいことを書くものと決めつけていたのだ。
でも考えてみて欲しい感想文とはあくまで感想なのだ。
よく思う人や悪く思う人がいるのが普通なのだ。
いわばそういうことだ。エッセイとは憧れという概念を打ち破ったそこにあの時の
彼の感想文と同じものを感じた。
今でこそ「打ち破りもあり」は定番化しているが、それが行き過ぎてエッセイとはテンテコマイという概念に固まってきている危機感も少しある。
(だからただテンテコマイだけじゃつまらなくなる)
ただ林真理子に関して言えばそういうエッセイのツボをおさえて
あえてあのエッセイなのかもしれないが(本当のところはわからないが)
どうであれエッセイの世界にのせられちゃってもいいかなと思える心地よさがあるこれが最大の強みである。
これからも楽しませてほしい。